前へ

 大道寺駿河守の最後には諸説があり、降伏して松井田城開城後は豊臣方の北国勢に加わり八王子城を攻めたが、後日、秀吉の命で河越城下の常楽寺(川越市)で切腹させられたとか、江戸で処刑させられたとかの説もあります。この物語では、士卒の命を救うために自ら切腹して開城する説を採っています。史実とは違うかも知れませんが、物語としては、このほうが美学が感じられるようです。何れにしても降伏開城したことにより、多くの家臣が生き延び、家臣録も残され、その末裔たちが松井田町に住んでいるということも松井田城の特徴であります。多くの伝承が残されており身近に戦国時代の息吹が感じられます。


  トップページへ戻る